東京地方裁判所 平成10年(ヨ)21249号 決定 1999年1月29日
債権者
安田紀子
右代理人弁護士
志村新
同
君和田伸二
同
穂積剛
債務者
ナショナル・ウエストミンスター・バンク・パブリック・リミテッド・カンパニー
(ナショナル・ウエストミンスター銀行)
日本における代表者
ロバート・ジョン・ウィンザー
右代理人弁護士
福井富男
同
内藤潤
同
松岡政博
主文
一 債務者は、債権者に対し、金六〇万円及び平成一一年二月から同年一二月まで毎月一八日限り金六〇万円並びに同年六月三〇日限り金五〇万円及び同年一二月三〇日限り金五〇万円をそれぞれ仮に支払え。
二 債権者のその余の申立てを却下する。
三 申立費用は債務者の負担とする。
理由
第一申立て
一 債権者が債務者との間に労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。
二 債務者は、債権者に対し、平成一一年一月から本案判決確定に至るまで毎月一八日(当日が銀行の非営業日に当たるときは直前の営業日)限り金六八万八七八〇円並びに同年六月以降毎年六月及び一二月の各月の銀行の最終営業日限り各金一九〇万二九八〇円をそれぞれ仮に支払え。
第二事案の概要
一 本件は、債務者に雇われていた債権者が、債務者に解雇されたと主張して、債務者に対し労働契約上の権利を有する地位の仮の確認及び賃金の仮払いを求める事案である。
二 前提となる事実
1 債権者が解雇されるに至る経緯について
(一) 債務者は英国法を準拠法として設立された銀行などの金融業その他を営む会社であり、その本店はイギリスのロンドンにあり、日本国内には債務者の肩書住所地(日本における営業所の所在地)に日本における営業所(以下「東京支店」という。)が設けられている(争いがない。)。
(二) 債権者は、昭和五八年六月に債務者の東京支店の従業員として採用され、以後輸出入に関わる銀行業務に従事してきたが、昭和六一年にはスーパーバイザーに、平成三年八月にはアシスタント・マネージャーに、それぞれ昇進し、平成四年以降はローンズ・アンド・トレードファイナンス係の主任の地位にあった(争いがない。)。
(三) 債務者は平成九年三月ナットウエ(ママ)スト・グループの経営戦略の転換に基づきGTBS(グローバル・トレード・バンキング・サービスの略称)の下に東京支店を含むアジア四か国の各支店において行ってきた伝統的貿易金融業務は他の銀行に移管し、アジア地域におけるこれらの業務を同年六月末日をもって廃止することを決定した(争いがない。)。
(四) 同年四月以前において債務者の東京支店で伝統的貿易金融業務を行う部門には債権者を含む三名が配属されていたが、債務者は右の三名に対し右(三)の決定を伝えて同年五月以降退職を勧奨したところ、債権者を除くその余の二名は同年六月までに退職したが、債権者は退職勧奨には応じなかった(争いがない。)。
(五) 債務者は退職勧奨に応じない債権者に対し年俸金六五〇万円でナットウェ(ママ)スト・サービシズ・ジャパンに出向するという職務転換を提案したが、提案に係る年俸は市場の給与レベルとしては最高額に近いものであったが、債権者が従来支給されていた給与額を相当程度下回るものであったので、債権者はナットウェ(ママ)スト・サービシズ・ジャパンへの出向は受諾するが、賃金その他の労働条件については債権者が所属していたナショナル・ウエストミンスター銀行東京支店従業員組合(以下「本件組合」という。)と債務者との交渉に委ねることにした(争いがない。)。
(六) 債務者は同年九月一日付けの文書(<証拠略>)をもって債権者に対し、同月一二日までに同年七月一〇日付けの文書に示した提案を受け入れる旨の返事がなければ同年九月三〇日をもって債権者を解雇するという趣旨の通知をした。これに対し、債権者は同月一二日付けの文書をもって債務者に対し同年七月一〇日付けの文書で示された労働条件の不利益変更については争う権利を留保しつつ債務者の指揮の下に就労することを承諾することを通知したが、債務者は同月三〇日の経過により債権者は解雇された(以下「本件解雇」という。)として債権者の就労の受入れ及び賃金の支払を拒否している(争いがない。)。
2 債権者の本件解雇時の賃金は基本給が金五五万九七〇〇円、食事手当金二万円、住宅手当金一万三〇〇〇円、家族手当金二〇〇〇円、社会保険手当金五万九〇八〇円、通勤手当金三万五〇〇〇円、合計金六八万八七八〇円であり、毎月一八日限り当月分の賃金が支払われており、また、毎年六月と一二月に一時金としてそれぞれ基本給の三・四か月分である金一九〇万二九八〇円が支払われていた(争いがない。)。
3 債務者は平成九年一〇月六日債権者名義の東京三菱銀行大宮支店普通預金口座に退職金として金一八七〇万三二七一円を振り込んだ(<証拠略>)。
三 争点
1 被保全権利について
(一) 債務者の東京支店の就業規則(以下「本件就業規則」という。)に基づかない解雇の可否について
(1) 債権者の主張
債務者は本件就業規則などにおいて解雇事由を定めているから、解雇の理由は本件就業規則などに定められた事由に限られるというべきところ、本件解雇の理由は、債務者の主張によれば、経営方針の転換に伴う所属部門の閉鎖による担当業務の消滅であるが、この解雇理由が本件就業規則などに定められた解雇事由のいずれにも該当しないことは明らかである。また、債権者が債務者との間で本件就業規則などに所定の事由以外の事由に基づく解雇があり得ることを個別に合意したことはない。したがって、本件解雇は本件就業規則などに所定の解雇事由が存しないにもかかわらず行われたものであって無効である。
(2) 債務者の主張
本件就業規則二九条は専ら懲戒解雇事由を定めた規定であり、懲戒解雇事由以外の理由に基づく解雇権の行使は本件就業規則一条に基づき労働基準法又はその他の関係法令に定められた規制にのみ服することになる。
(二) 本件解雇は解雇権の濫用か。
(1) 債権者の主張
ア 本件解雇は整理解雇の要件すら満たしていない。
本件解雇は、債権者に何らの落ち度がないにもかかわらずたまたま債権者が配属されていた部署が閉鎖になったという専ら債務者の経営上の都合に基く(ママ)ものであるが、専ら使用者の経営上の都合による解雇の中でも最も切実な経営上の必要性に基づく解雇であるいわゆる整理解雇の場合ですら、それが有効と認められるには、<1> 人員整理を不可避とする経営危機が存在すること、<2> 解雇回避の努力を尽くしたこと、<3> 被解雇者の選定基準及びその具体的適用に合理性があること、<4> 人員整理及び整理解雇について労働者、労働組合との間で協議を尽くしたこと、のいわゆる整理解雇の四要件が充足されなければならないことが判例法理として確立されているところ、本件解雇は右の<1>ないし<4>のいずれの要件も満たしていない。
イ 本件解雇は賃金切下げへの同意拒否を理由とする解雇である。
前記第二の二1(五)のとおり債権者は債務者の提案に係る職務転換については、ナットウェ(ママ)スト・サービシズ・ジャパンへの出向は受諾することにし、前記第二の二1(六)のとおり債権者は債務者から示された労働条件の不利益変更については争う権利を留保しつつ債務者の指揮の下に就労する旨の通知をしたのであるから、債権者と債務者との間では債権者の賃金額について争いがある場合にすぎない状況であったにもかかわらず、債務者は本件解雇に及んだのであるから、本件解雇はいわば債務者が債権者の賃金を一方的に減額しようとしたのに対し債権者がこれを拒否したことを理由にされた解雇というべきである。しかし、労働契約の一方の当事者である使用者が他方の当事者である労働者の同意もなしに賃金を一方的に切り下げることができないことは現行法の解釈として争う余地のないところであるから、本件解雇が賃金切下げへの不同意を理由とする解雇である以上、本件解雇が権利の濫用として無効であることは明らかである。
(2) 債務者の主張
ア 裁判所は民法一条を根拠として「解雇権の行使もそれが客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当として是認することができない場合には権利の濫用として無効になる」とか、個人的理由による解雇とは別に整理解雇なる範ちゅうを設けて、整理解雇が有効とされるためには、<1> 人員削減の必要性、<2> 人員削減の手段として整理解雇を選択することの必要性、<3> 整理対象者選定の合理性、<4> 整理手続の妥当性、の各要件を満たすことが必要であるなどとして解雇を厳しく制限してきた。
しかし、民法六二七条は解雇自由の原則を定めているのであるから、裁判所がこの原則を無視して民法一条などを根拠に個別的、集団的な解雇に対してはなはだ主観的かつ不明確な制限要件が設定され、解雇は極めて例外的な場合にのみ許容されるとするかのような法律の運用をすることはおよそ許されないのであって、裁判所が解雇権濫用の法理によって解雇を制限しようとするのは失当というべきである。また、解雇権濫用の法理は、権利濫用という抽象的な基準を個別の解雇事例に適用するものであるから、その内容はできる限り具体的かつ客観的に確立されるべきものであるが、裁判所において解雇権濫用の法理の具体的かつ客観的な内容が確立されているとはいえないのであって、解雇権の濫用を認める二つの最高裁判決もその具体的基準を示したものではない。そして、整理解雇については、解雇権濫用の判断基準として人員削減の必要性、整理対象者選定の合理性、人員削減の手段としての整理解雇を選択することの必要性、手続の妥当性などの要件を充足することが必要であると言われているが、未だ整理解雇の要件についてはこれを具体的に明らかにした最高裁判例はないのであり、下級審判例は数多くあるものの、その判示する内容は区区であり、その対象としている整理解雇の事実上、法律上の内容は一様ではないのであるから、特定の一、二の判例をもってすべての整理解雇に共通する原則を確立したといえるような判例はない。したがって、何らの根拠も示すことなしに整理解雇の要件は判例上確立されているとして、整理解雇の要件なるものを前提に整理解雇が解雇権の濫用として無効であるかどうかを判断することははなはだしく失当であるというべきである。その上、整理解雇の要件なるものは判断基準としてはなはだ不明確であり、しかも、これらの要件を適用すべき整理解雇なるものも明確には定義されていないのである。したがって、解雇について権利濫用であるかどうかを判断する裁判所の客観的な基準はないに等しいというべきであって、個々の事件について裁判所の主観的な信義則や社会通念に基づいて判断することになりかねない。また、解雇自由の原則を定める民法六二七条に対して解雇権濫用の法理によって解雇を制限しようとすることは明らかに法律解釈の域を超えて法律を作るのに等しいことであって、立法権への介入であり、三権分立に反しているといわざるを得ない。
結局のところ、現行法制下での解雇の適法性判断のあり方としては、民法、労働基準法などが独自に規定する解雇制限、解雇手法に違反するものでない限り、解雇は原則として適法であると判断されるべきであり、解雇権濫用の原則を適用して解雇を無効とするのはあくまでも例外的な場合、すなわち、業務縮小、人員削減の判断の仕方に格別不合理な点がある場合、あるいは、その判断に当たり本来考慮に入れるべきでない点を考慮に入れているとか、逆に考慮すべき点を落としているとかの場合に限定されるべきである。
イ 本件解雇は、債権者が賃金切下げに同意しなかったことを理由に行われたものではなく、債権者が従来就いていたアシスタント・マネージャーのポジションが消滅した結果行われたものである。債務者による職務転換の提案とは、債権者の所属部門の閉鎖による担当業務の消滅により債権者を解雇せざるを得ない状況の下においてこれを回避するために採られた措置であって、債権者の主張は雇用中の者に対する一方的な賃金切下げの問題と本来解雇せざるを得ない者に対する解雇の回避のための特別のオプションに伴う雇用条件の問題を混同するものであって失当である。
2 保全の必要性について
第三争点に対する判断
一 被保全権利について
1 争点1(一)(本件就業規則などに基づかない普通解雇の可否)について
(一) 疎明資料(<証拠略>)によれば、一応次の事実が認められる。
(1) 本件就業規則には第七章として「懲戒、解雇及び退職」が置かれており、同章は第二八条として懲戒、第二九条として解雇、第三〇条として退職という規定から成り、それぞれ次のアないしウのように定められており、また、これに関連する規定として次のエないしキに掲げる定めがある(<証拠略>)。
ア 第二八条 懲戒
(ア) 前段
当行は、当行の判断により当行の規則に違反したとみなされ、または職務怠慢であるとみなされた行員を、その程度に応じ懲戒、減給または解雇の処分に付すことがある。懲戒または減給処分の場合、当該行員は始末書を提出しなければならない。故意または重大な過失により当行の財産に損害を与えた者は、加えて、かかる損害につきその全部または一部に対する損害賠償金を支払わなければならない。
(イ) 後段
行員は、遅刻その他勤務時間中の欠務をなしたときは、減給処分を免かれないであろう。かかる減給分は、一カ月毎における欠務時間数の合計に基づき基本時間給の料率により計算する。三十分未満の端数は切り捨てる。
イ 第二九条 解雇
(ア) 前段
行員は、次の各号のいずれかにあてはまる場合には、解雇されることがある。
<1> 本就業規則及び当行が随時適用するその他の労働条件に連続して違反した場合(一号)
<2> 本就業規則第四条、第五条及び第六条の規定または今後の就業規則中の類似する規則を遵守しなかった場合(二号)
<3> 試用中の行員が当行の業務に適しないと判断された場合(三号)
<4> 当行の資金または証券の盗用、当行の帳簿への不正記入及び当行に関係する窃盗または詐欺行為に類するような行為(四号)
<5> 行員が当行の名声を損い、または不正行為もしくは一般に認められている道徳上の慣習に反する行為をなした場合(五号)
<6> 故意に当行の建物または資産に損害を与えたとき(六号)
<7> 故意に他の行員または当行内にいる第三者に負傷または傷害を負わせたとき(七号)
<8> 上司の指示に従わないとき(八号)
<9> 故意に業務能率または業務の遂行を妨げたとき(九号)
<10> 自己の職務に関連して個人的な手数料、賄賂または謝礼を受け取つ(ママ)たとき(一〇号)
<11> 上記に類似する行為をなしたとき(一一号)
(イ) 後段
当該行員が即時解雇処分に付される第四項、第五項、第六項、第七項及び第一〇項(いずれも原文のままであるが、それぞれ四号、五号、六号、七号及び一〇号の誤りであると考えられる。)の場合を除き、解雇については当行側が書面で三〇日前の予告を行うことを要する。当行はその自由裁量により当該解雇の予告期間の終了までの間有給就業停止処分に付すことがある。
ウ 第三〇条 退職
(ア) 第一段
行員が何らかの理由で当行を退職しようとするときは、当行に書面で一カ月の予告を行わなければならない。
(イ) 第二段
行員の通常の停年退職年令は六〇才とする。ある場合には、行員の停年退職年令は行員と当行との協議及び契約により延期することもある。
(ウ) 第三段
退職には次の場合が含まれる。
<1> 停年退職年令での勤務終了
<2> 当行が承認する例外的事由による辞職
<3> 当行での雇用期間中における行員の死亡
<4> 長期疾病による「給与規則」第一〇条による解雇
<5> 結婚による女子従業員の退職
エ 第四条 行員の責任
行員は各々、常に当行の高い水準及び名声を堅持しうるような行動をとることを期待されている。行員は各々、本規則をはじめ当行のあらゆる規則及び細則を遵守し、また同僚と協力し上司及び当行役職員からの指示と助言に従い定められた自己の責務を迅速に全うしなければならない。当行は、業務を能率的に遂行し、且つ、行員の能力を十分に生かすため、任意に行員の責務を変更することができる。
オ 第五条 行員の行動
行員は、当行またはその役職員の名声または利益を損うような行動を避けるべく良識を発揮することを期待されている。いかなる行員も、職務上知り得たまたは入手し得た当行、その業務または顧客に関する情報または書類を、自己の利益のために用い、または他人に漏らしてはならない。行員は、あらかじめ総支配人(Chief Manager In Japan)またはその代理から書面による承認を得た場合を除き、定められた責務を遂行するとき以外に当行の名称または自己の職名もしくは地位を使用しないものとする。
カ 第六条 外部による雇用
行員は、常勤従業員として雇用される。行員が他人に雇用され、または他の事業と関係を持つことを希望するときは、当行の業務と利害が相反しないように総支配人(Chief Manager In Japan)またはその代理からあらかじめ書面による許可を得なければならない。
キ 第一四条 試用期間
(ア) 第一段省略
(イ) 第二段
試用中の行員は、一四日間以上継続して雇用されなかった場合、当行は、通知なしで、または実労働時間数に対する支払い以外に何ら支払うことなく、または何らの理由をも公表することなくいつでもこれを解雇することができる。試用中の行員は、試用期間中いつでもまたは当該期間の終了時に、当行からその勤務状態が適当でないとみなされたときは、当行は、本規則第二九条に定める手続きに従い、これを解雇することができる。
(ウ) 第三、第四段省略
(2) 債務者の東京支店の給与規則(以下「本件給与規則」という。)には、次のような定めがある(<証拠略>)。
ア 第一〇条 疾病手当
(ア) 第一段省略
(イ) 第二段
表示支給期間をこえてひきつづき職務を遂行することが出来ず、政府の健康保険制度に基づく手当を受ける行員は以下の表に示す期間給与を受けずその職務を停止させられる。行員が当該期間をこえて勤務できない場合には当行より解雇される(表は省略)。
(ウ) 第三段
本条の規定にかかわらず、行員が欠勤理由を偽ったことを発見した場合には、当行は給与及び手当の支給を停止し直ちに解雇することができる。
イ 第一四条 正規外退職
(ア) 第一、第二段省略
(イ) 第三段
就業規則第二九条解雇に基づき当行より解雇された行員は退職手当を受けることができない。
(二) 以上の事実を前提に、本件就業規則二九条について検討する。
(1) 本件就業規則二九条の前段は解雇の事由として一号から一一号までを列挙しており、一号は本件就業規則及び随時適用される労働条件の違反が度重なったことを解雇事由とし、二号は債務者の従業員としての行動するに当たってこれを規律する本件就業規則上の規定に違反したことを解雇事由とし、三号は試用期間中の行員に不適格な点があることを解雇事由とし、四号ないし七号及び一〇号は違法または不当な行為をしたことを解雇事由とし、八号は債務者内の秩序を脅かす行為を解雇事由とし、九号は債務者の業務を故意に停滞させる行為を解雇事由とし、一一号は上記に類似する行為を解雇事由としているが、本件就業規則二九条の後段によれば、同条の前段に掲げる解雇事由のうち四号ないし七号及び一〇号に基づく解雇については三〇日分の解雇予告手当は支給されないのに対し、その余の解雇事由に基づく解雇については三〇日分の解雇予告手当が支給されることとされており、この違いのほか、本件就業規則二九条の前段に掲げる解雇事由の内容も考え合わせると、本件就業規則二九条の前段に掲げる解雇事由のうち四号ないし七号及び一〇号はいわゆる懲戒解雇事由を定めた規定であり、その余の解雇事由はいわゆる普通解雇事由を定めた規定であると解するのが相当である。
(2) ところで、本件就業規則二九条の前段は「解雇は、次の場合に限り行う。」という規定の仕方ではなく、「行員は、次の各号のいずれかにあてはまる場合には、解雇されることがある。」という規定の仕方であって、その規定の仕方を見る限り、いわゆる普通解雇事由に基づいて解雇権を行使しうるのは本件就業規則二九条の前段に掲げる解雇事由に限られているとはいいがたいこと、現に本件就業規則三〇条の第三段及び本件給与規則一〇条には長期疾病の場合に行員が解雇されることがあることが定められているが、この解雇事由は本件就業規則二九条の前段に掲げる解雇事由には挙げられていないこと、以上によれば、債務者はいわゆる普通解雇事由に基づいて解雇権を行使しうるのは本件就業規則二九条の前段に掲げた解雇事由に限られるという趣旨で本件就業規則二九条の前段を設けたわけではないと解するのが相当である。
これに対し、債権者は債務者との間で本件就業規則などに所定の事由以外の事由に基づく解雇があり得ることを個別に合意したことはないと主張しているが、右の主張に係る合意をしていないことは債務者が本件就業規則二九条前段に定める事由以外の事由による普通解雇をすることができない理由にはなり得ないから、右の主張は失当というほかない。
(三) そうすると、本件就業規則二九条の前段に定める事由に該当しない普通解雇も許されるというべきである。
2 争点1(二)(本件解雇は解雇権の濫用か。)について
(一) 前記第二の二1の事実、疎明資料(<証拠略>)及び審尋の全趣旨によれば、一応次の事実が認められる。
(1) 債務者は金融、為替取引、証券、投資顧問業務などを営む複数の業務部門によって構成されているナットウエスト・グループの一員であるが、同グループは一九七〇年代初期にはイギリスを中心にヨーロッパに拠点を置いてリテール及び商業(トレード・ファイナンス、外国為替、単純な貸付け)業務を行っており、昭和四三年に開設された東京支店においても一九八〇年代までは主に主要な日本企業グループとの外国及び現地通貨での貸付け、外国為替及びトレード・ファイナンスを行っており、一九八〇年代後半には東京支店のトレード・ファイナンス部門に一四名の人員を配置していた。しかし、貸付け、外国為替、トレード・ファイナンスといった業務に要する費用が増大し、利益を減少させる結果となっていたため、債務者は平成二年(一九九〇年)株主の利益のために国際銀行部門から生み出される資本金当たりの収益の減少を改善する必要があると決断して東京支店における業務を見直し、トレード・ファイナンス部門の人員を二名に削減したが、人員の削減を図ってもトレード・ファイナンス部門の収入は費用を賄うには不十分であった。ナットウエスト・グループは平成四年以来ナットウエスト・マーケッツ(付加価値のある投資銀行商品の取扱いに戦略を絞ってきた部門)とナットウエスト・UK(リテール及び商業銀行業務を担当する部門)を通じて運営されてきたが、ナットウエスト・グループは平成八年に小規模なトレード・ファイナンス・サービスはナットウエスト・マーケッツの戦略に適合せず、これらの市場における現地銀行と競争することはできないという結論が出され、同グループの執行経営陣は平成九年三月にGTBS(ナットウエスト・UKの中に属していたトレード・ファイナンス・サービスを統合して創設した部署)を閉鎖し、この分野の業務から撤退することを決めた。債務者は、激しく変動する国際金融情勢に対応し厳しい業界の競争の中で生き残るためには限られた人員、資源を従前どおりの幅広い業務に分散していくことは不可能であり、そのため今後の戦略として十分な収益を上げることが見込めない部門を切り捨て十分な収益を上げることが見込める部門に特化することにし、具体的には主に投資銀行関連の業務を強化して投資銀行としての特化を図ることを決定したのであって、GTBSを従来どおり存置し続けるとなると、将来GTBSの運営に要する費用が債務者の収益を大きく圧迫して債務者に倒産の危機を招来せしめることが予想されたというわけではなかった。そして、この決定を受けて東京支店のGTBSアジアパシフィック部門は同年六月三〇日をもって閉鎖されることになった(<証拠略>、審尋の全趣旨)。
(2) 債務者の東京支店においては業務の再編に伴ってその担当する職務が消滅するという事態が生じたことがあったが、職務が消滅するという事態に直面したのは、いずれもマネージャー、アシスタント・マネージャー、スーパーバイザーなどのいわゆる管理職ではないそれより下の行員であり、債務者はそのような場合には職務が消滅した行員について直ちに解雇という手段を採らずにしばらくの間事実上過員として放置しその後新たに適当な職務を割り当てるなどしていた。また、それまで担当していた業務とは全く異なる業務への配置転換は管理職ではないそれより下の社員についてはこれまで頻繁に行われてきたが、マネージャー、アシスタント・マネージャー、スーパーバイザーなどの管理職についてはそのような例はほとんどなかった(<証拠略>、審尋の全趣旨)。
(3) 債権者は埼玉銀行、イギリスへの留学、ファースト・シカゴ銀行東京支店を経て、昭和五八年六月債務者に一般事務職(当事者らの主張に係る「一般クラーク」を「一般事務職」と呼ぶこととする。)として雇用され、東京支店の輸出課に配属された。その後輸出課の名称はトレード・ファイナンス課に変更され、債権者は昭和六一年にトレード・ファイナンス課のスーパーバイザーに昇進し、平成二年にはトレード・ファイナンス課の人員が二名に削減されたが、債権者は引き続き同部門において勤務を続け、平成三年八月には同部門のアシスタント・マネージャーに昇進した。債権者が輸出課ないしはトレード・ファイナンス課において行っていた業務は輸出入に関わる銀行業務であり、具体的には、輸出入に関わる貸付け、国内外の送金、為替予約の実行と決済、保証状の発行と保証料の徴収などの銀行業務(伝統的貿易金融業務)であった。トレード・ファイナンス課は平成四年シンガポールへの地域事務集中のためのプロジェクトを設けるための組織変更で貸付事務課と統合されてローンズ・アンド・トレード・ファイナンス・ユニットになり、債権者は同ユニットの責任者として輸出入に関わる銀行業務のほかに輸出入に関わらない貸付けも担当するようになった。平成五年秋ころに輸出入事務(トレード・ファイナンス)のほかに金融派生商品の後方事務を担当するよう内示を受けたが、結局内示は実現には至らなかった。そして、債権者は平成七年からはローンズ・アンド・トレード・ファイナンス・ユニットの責任者としてGTBSアジアパシフィック部門の後方事務とディーリングの後方事務の一部を担当することになった。平成九年三月の時点においてローンズ・アンド・トレード・ファイナンス・ユニットには債権者を含む三名が配属されており、債権者は同部門のアシスタント・マネージャーであった(<証拠略>)。
(4) 債務者の東京支店のGTBSアジアパシフィック部門の閉鎖によって債権者が担当していた業務は消滅することになったが、債務者は、平成九年三月ないし四月に債権者の今後の配属について、債権者は債務者に入行後一貫して業務部の輸出課ないしはトレード・ファイナンス課ないしはローンズ・アンド・トレード・ファイナンス・ユニットで勤務してきており、東京支店の他の部署で求められている商品についての十分な知識や経験を有していなかったため、債権者が就いていたアシスタント・マネージャーと同水準の地位を提供するという方法で他の部署に配転させることはできないとの結論に至ったので、債務者は債権者に対し退職を勧奨したのである(<証拠略>)。
(5) 平成一〇年五月の時点において債務者の東京支店に一般事務職員として入行し勤務する行員には八年ないし一二年くらい勤務している者が少なくとも全行員の一割以上はおり、債務者の東京支店の開業直後ころから勤務している者が三名もいる。これらの債務者の東京支店に一般事務職員として入行しその後比較的長期間にわたって勤務している行員の多くはマネージャー、アシスタント・マネージャー、スーパーバイザーなどの管理職ではなくそれよりも下の行員であるが、昇進を重ねてマネージャー、アシスタント・マネージャー、スーパーバイザーなどの役職に就いている者もいる。しかし、債務者の東京支店の管理職にはその専門的な知識や経験などを買われて管理職として債務者の東京支店に採用された者も少なくない。債権者は一般事務職として債務者の東京支店に入行し、本件解雇の時点までで債務者に一四年勤務していたことになり、その間にアシスタント・マネージャーにまで昇進した。また、GTBSアジアパシフィック部門の閉鎖に伴って退職した同部門にいた債権者以外の二名はいずれも一般事務職として入行したが、退職した時点で債務者に約九年間勤務していたことになる(<証拠略>)。
(6) 日本に支店を開設している外国の銀行に勤務する行員は自己都合又は希望退職の募集に応募しない限り定年まで勤務するものとされている(<証拠略>)。
(二) 本件解雇の理由について
債務者は、本件解雇の理由は債権者の所属部門の閉鎖による担当業務の消滅であると主張している(前記第二の三1(二)(2)イ)が、本件解雇に至る経緯(前記第二の二1)によれば、本件解雇の理由は債権者の所属部門の閉鎖による担当業務の消滅であると認められる。
これに対し、債権者は本件解雇は賃金切下げへの同意拒否を理由とする解雇であると主張する(前記第二の三1(二)(1)イ)が、採用できない。
(三) 本件解雇が解雇権の濫用として無効であるかどうかについての判断の仕方について
(1) 民法六二七条一項は「当事者カ雇用ノ期間ヲ定メサリシトキハ各当事者ハ何時ニテモ解約ノ申入を為スコトヲ得此場合ニ於テハ雇用ハ解約申入ノ後二週間ヲ経過シタルニ因リテ終了ス」と規定しており、期間を定めない雇用については解雇は原則として自由になし得ることを明らかにしている。また、民法六二六条一項は「雇用ノ期間カ五年ヲ超過シ又ハ当事者ノ一方若クハ第三者ノ終身間継続スヘキトキハ当事者ノ一方ハ五年ヲ経過シタル後何時ニテモ契約ノ解除ヲ為スコトヲ得但此期間ハ商工業見習者ノ雇用ニ付テハ之ヲ一〇年トス」と規定しており、五年を超える期間を定めた雇用といえども、雇用が五年を超えた場合には当事者の一方は理由のいかんを問わずに雇用契約を解除することができることを明らかにしている。
(2) このように解雇は本来自由になし得るものであるというべきところ、最高裁昭和五〇年四月二五日第二小法廷判決(民集二九巻四号四五六ページ)は、「使用者の解雇権の行使も、それが客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合には、権利の濫用として無効になると解するのが相当である。」と述べ、最高裁昭和五二年一月三一日第二小法廷判決(裁判集民事一二〇号二三ページ)は、「普通解雇事由がある場合においても、使用者は常に解雇しうるものではなく、当該具体的な事情のもとにおいて、解雇に処することが著しく不合理であり、社会通念上相当なものとして是認することができないときには、当該解雇の意思表示は、解雇権の濫用として無効になるものというべきである。」と述べており、本来自由になし得る解雇といえども、解雇権の行使が客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合や一応解雇事由があると認められても当該具体的な事情のもとにおいて解雇に処することが著しく不合理であり社会通念上相当なものとして是認することができない場合には、解雇権の行使は権利の濫用として無効であるというべきである。
(3) ところで、本件解雇の理由は債権者の所属部門の閉鎖による担当業務の消滅であり、この解雇事由は本件就業規則二九条前段に定める解雇事由(前記第三の一1(一)(1)イ(ア))のいずれにも該当しないのであるが、債務者は普通解雇事由である限りは本件就業規則二九条前段に定める解雇事由以外の事由を主張することは許されるというべきである(前記第三の一1(三))から、債務者が本件解雇の理由を主張し疎明した以上は、本件解雇が解雇権の濫用として無効であることを基礎づける事実については債権者においてこれを主張し疎明しなければならないと解される。
(四) そこで、本件解雇が解雇権の濫用として無効であるかどうかを検討する。
(1) 債権者は、本件解雇は債権者に何らの落ち度がないにもかかわらずたまたま債権者が配属されていた部署が閉鎖になったという債務者の経営上の都合に基づいて行われたものであり、債務者には本件解雇当時人員を整理しなければならないほどの経営危機が存在していたわけではないのであるから、本件解雇が解雇権の濫用として無効であることは明らかであると主張する。
(2) しかし、
ア 企業がある部門において発生した余剰人員を削減しようとする場合に、その余剰人員の削減に経営上の必要性があり、かつ、経営上の必要性が企業経営上の観点から合理性を有するものであれば、余剰人員の削減を目的としてその余剰人員についてする解雇は一応合理性を有するものと認められる。そして、企業が現に倒産の危殆に瀕している場合には余剰人員の削減の緊急の必要性があるわけであるから、このような場合には余剰人員の削減の経営上の必要性を肯定することができ、また、将来経営危機に陥る危険を避けるために今から企業体質の改善、強化を図って行う場合も、企業が生き延びることを目的としているのであるから、このような場合についても余剰人員の削減の経営上の必要性を肯定することができるが、更に将来においても経営危機に陥ることが予測されない企業が単に余剰人員を整理して採算性の向上を図るというだけであっても、企業経営上の観点からそのことに合理性があると認められるのであれば、余剰人員の削減の経営上の必要性を肯定することができる。なぜなら、企業には経営の自由があり、経営に関する危険を最終的に負担するのは企業であるから、企業が自己の責任において企業経営上の論理に基づいて経営上の必要性の有無を判断するのは当然のことであり、また、その判断には広範な裁量権があるというべきだからである。
債権者の主張は、要するに、余剰人員の削減を目的としてその余剰人員についてする解雇の理由としては、人員の削減をしなければならないほどの経営危機が存在することを要するというものであるが、右の説示に照らし採用できない。
イ ある部門の余剰人員の削減に経営上の必要性があると認められるには、当該企業の従業員を削減することが不可避であることが必要であると解される。なぜなら、例えば、ある部門の余剰人員を他の部門に配転することが当該従業員の職種、能力の点で可能であり、しかも、その配転によって配転先の部門に余剰人員が生じないような場合には、企業の立場を考えても、解雇という手段によって従業員の削減をする必要はなく、結局のところ、余剰人員の削減の必要性があるということはできないからである。
ウ ある部門の余剰人員の削減についての経営上の必要性が企業経営上の観点から合理性を有すると認められるには、解雇によって達成しようとする経営上の目的とこれを達成するための手段である解雇ないしその結果としての失職との間に均衡を失しないことが必要であると解される。なぜなら、終身雇用制ないし年功序列制を採用している企業においては、当該企業で勤務する従業員がある一定の年齢(例えば、定年など)に達するまで当該企業に勤務し続けることを期待することには合理性があるものと認められ、したがって、そのような期待は法的に保護すべきものであるというべきであり、また、当該企業が終身雇用制ないし年功序列制を採用していない場合でも、当該企業が採っている給与体系、昇格・昇進の制度、従業員の採用・削減の状況などの点を総合すると、当該企業で勤務する従業員がある一定の年齢(例えば、定年など)に達するまで当該企業に勤務し続けることを期待することに合理性があると認められる場合には、そのような期待は法的に保護すべきものであるところ、解雇はこれによって雇用関係を終了させるものであって、被解雇者の多くは当面の収入を失うことになるわけであるから、労働者にとって通常は極めて重大な打撃となることは否定できず、したがって、余剰人員の削減を解雇によって達成しようとしている経営上の目的が余りにもささいであるときは解雇という手段によって従業員を失職させるという結果を生じさせることとの間の均衡を失しているといわざるを得ず、そのような場合に余剰人員の削減についての経営上の必要性が企業経営上の観点から合理性を有するということはできないのであって、解雇権の行使は濫用に当たるといわざるを得ないからである。
右のように解することは民法六二六条一項の規定に何ら反するものではない。なぜなら、民法六二六条一項は前記のとおり五年を超える期間を定めた雇用といえども雇用が五年を超えた場合には解雇自由の原則が適用されるべきことを明らかにしているにすぎず、解雇自由の原則が適用される場合に解雇権の行使が権利の濫用を認められたとしても、解雇権の行使は有効として許されることを明らかにした規定であると解することはできないからである。
そして、解雇によって達成しようとする経営上の目的とこれを達成するための手段である解雇ないしその結果としての失職との間に均衡を失していないかどうかは、余剰人員の削減によって達成しようとしている経営上の目的との関係で決せられることというべきであるが、例えば、企業が現に倒産の危殆に瀕している場合には余剰人員の削減の緊急の必要性があるわけであるから、このような場合には解雇が余剰人員の削減の経営上の目的との間で均衡を失しているということはできず、また、将来経営危機に陥る危険を避けるために今から企業体質の改善、強化を図って行う場合も、企業が生き延びることを目的としているのであるから、これに代わる次善の策を容易に想定しうるものでない限り、均衡を失するとはいえないが、将来においても経営危機に陥ることが予測されない企業が単に余剰人員を整理して採算性の向上を図るために行う解雇については余剰人員の削減の緊急の必要性はないのであるから、通常は業種の拡大を図ることや今後数年間の自然減を待つことによって余剰人員を吸収すれば、結局は経営上の目的を達することができるのであって、そのような方法による余剰人員の吸収が不可能であるような場合を除いては、目的と手段・結果との間の均衡を欠くというべきである。
エ 以上によれば、ある部門の余剰人員の削減に経営上の必要性があり、かつ、経営上の必要性が企業経営上の観点から合理性を有すると認められる場合には、余剰人員の削減を目的としてその余剰人員についてする解雇は一応合理性を有するものというべきである。
(3) 本件においては、
ア 債務者が東京支店のGTBSアジアパシフィック部門を平成九年六月三〇日をもって閉鎖した理由(前記第三の一2(一)(1))によれば、債務者が東京支店のGTBSアジアパシフィック部門を閉鎖したのは、東京支店について将来における具体的な経営危機が想定されたためではなく、東京支店について投資銀行としての特化を図りもって資本の効率を高めて収益の拡大を図るためであったと認められ、また、そのことは企業経営上の観点から合理性を有すると認められる(ママ)
イ 次に、債務者が東京支店のGTBSアジアパシフィック部門の閉鎖によって余剰人員となった債権者を他の部門に配転することが可能であったかどうかについて検討する。
(ア) 企業のある部門の余剰人員を他の部門に配転することが可能であるといえるためには、当該従業員の職種、能力の点で配転が可能であること、その配転によって配転先の部門に余剰人員が生じないことのほか、当該従業員が給与、待遇などの点で配転先において従前よりも不利益な取扱いを受けないことを要すると解するのが相当であるところ、酒井美子は、その陳述書(<証拠略>)において、債務者はその従業員には市場での価値に相応な給与を支払うという方針を採っており、具体的には個人業績、グループ業績及び市場でのその職務の価値に応じて給与を決定することとされていると供述しており、このことからすると、債権者を配転するに当たって債権者が給与、待遇などの点で配転先において従前よりも不利益な取扱いを受けないようにするとすれば、配転先においても債権者にアシスタント・マネジャーの役職を用意すべきであるということになる。
(イ) しかし、債務者が平成九年三月ないし四月の時点において債権者に対し退職を勧奨した理由(前記第三の一2(一)(4))によれば、平成九年三月ないし四月の時点において債権者を他の部署のアシスタント・マネージャーとして配転することは現実的ではないし適当でもなかったと認められる。債権者は他の部署のアシスタント・マネージャーに配転することができたと主張するが、債務者において担当してきた債権者の職務の内容に照らし採用できない。
(ウ) したがって、GTBSアジアパシフィック部門の閉鎖に伴い同部署に配属されていた人員の配転が問題となった平成九年三月ないし四月の時点において債権者を他の部署のアシスタント・マネージャーとして配転することはできなかったというべきである。
ウ ところで、
(ア) 債権者が余剰人員となり人員削減の対象となったのは資本の効率を高めて収益の拡大を図る(具体的には東京支店について投資銀行としての特化を図る)ためにGTBSアジアパシフィック部門を閉鎖したことによるのであり、東京支店についてGTBSアジアパシフィック部門を存置し続けることによって将来具体的な経営危機が招来されることが想定されていたわけではなかったのであって、このようなGTBSアジアパシフィック部門の閉鎖によって達成しようとした経営上の目的からすれば、人員削減の方法として他に採りうる方法があるにもかかわらず、そのような方法を選択せずに解雇という手段を直ちに選択したとすれば、解雇によって達成しようとする経営上の目的とこれを達成するための手段ないしその結果との間には均衡が失われているというべきである。
(イ) ところで、右(ア)で説示したように解するに当たっては債務者が東京支店において終身雇用制ないし年功序列制を採用しているか、又は、そうでないとしても、債務者が採っている給与体系、昇格・昇進の制度、従業員の採用・削減の状況などの点を総合すると、債務者で勤務する債権者がある一定の年齢(例えば、定年など)に達するまで当該企業に勤務し続けることを期待することに合理性があると認められることが前提となっているというべきであるので、そのような前提が認められるかどうかについて検討する。
<ア> 債務者はいわゆる外資系企業である(前記第二の二1(一))から、給与体系、昇格・昇進の制度、社員の採用・削減などの点について本店の経営方針に従っており日本の企業のそれとは大きく異なる点があるものと考えられるところ、債務者の東京支店の行員の中には一般事務職員として入行した後比較的長期間にわたって勤務している者も少なからずおり、中には東京支店の開業直後ころから勤務している者もおり、また、その中には昇進して管理職になっている者もいる(前記第三の一2(一)(5))反面、債務者の東京支店の管理職にはその専門的な知識や経験などを買われて管理職として債務者の東京支店に採用された者も少なくなく(前記第三の一2(一)(5))、このような東京支店の行員の勤続の状況に照らせば、債務者が東京支店に勤務する行員について一律に終身雇用制ないし年功序列制を採用していると認めることはできない。
<イ> しかし、債務者の東京支店においては業務の再編に伴ってその担当する職務が消滅するという事態が生じたことがあったが、職務が消滅するという事態に直面したのは、いずれもマネージャー、アシスタント・マネージャー、スーパーバイザーなどのいわゆる管理職ではないそれより下の行員であり、債務者はそのような場合には職務が消滅した行員について直ちに解雇という手段を採らずにしばらくの間事実上過員として放置しその後新たに適当な職務を割り当てるなどしていたこと(前記第三の一2(一)(2))、それまで担当していた業務とは全く異なる業務への配置転換は管理職ではないそれより下の社員についてはこれまで頻繁に行われてきたが、マネージャー、アシスタント・マネージャー、スーパーバイザーなどの管理職についてはそのような例はほとんどなかったこと(前記第三の一2(一)(2))、日本に支店を開設している外国の銀行に勤務する行員は自己都合の退職又は希望退職の募集に応募しない限り定年まで勤務するものとされている(前記第三の一2(一)(6))ところ、債務者は東京支店の行員について定年を設けており(前記第三の一1(一)(1)ウ)、債務者の東京支店に一般事務職として入行し勤務する行員の多くは比較的短期間のうちに債務者を退職するが、債務者の東京支店に一般事務職として入行し勤務する行員の中には比較的長期間にわたって勤務している者も少なからずいること(前記第三の一2(一)(5))からすると、債務者の東京支店に一般事務職として入行し勤務する行員の中には東京支店で長期間にわたって勤務し続けていたいと希望する者が少なからずおり、債務者もその行員が管理職ではないそれより下の者である限りはその希望に答(ママ)えて長期間にわたって東京支店で勤務し続けさせているといえる。
これに対し、債務者の東京支店の管理職にはその専門的な知識や経験などを買われて管理職として債務者の東京支店に採用された者も少なくなく(前記第三の一2(一)(5))、そのような管理職についてはその専門的知識や経験などが債務者の東京支店の経営には必要ないと判断されるに至れば、解雇されるという事態が起こることも十分予想されうるところであるが、債務者の東京支店に一般事務職として入行しその後昇進して管理職となっている者についても、彼女らがそのような役職に就いているのはその役職にふさわしい専門的知識や経験などを有していると判断されたことによると考えられるから、彼女らについても専門的知識や経験などを買われて管理職として東京支店に採用された者と同様の理由で解雇されることがあり得ると考えられないでもない。
しかし、酒井美子は、その陳述書(<証拠略>)において、債務者はその従業員には市場での価値に相応な給与を支払うという方針を採っており、具体的には個人業績、グループ業績及び市場でのその職務の価値に応じて給与を決定することとされていると供述しているが、仮に右の供述のとおり債務者においてそのような方針が採られていたとすれば、債務者の東京支店に一般事務職として入行した行員が管理職に昇進した場合には、その管理職は管理職に昇進した理由となったその者の専門的知識や経験などが債務者の東京支店の経営に必要ないと判断されたときには債務者を解雇されることがあり得るという不利益を新たに負うことになるが、そうであるとすれば、東京支店に一般事務職として入行した行員が管理職に昇進するに当たっては管理職になれば右に述べたような理由で解雇されることがあり得ることを周知徹底して、右に述べたような不利益にもかかわらず管理職への昇進を希望するかどうかを選択する機会を与える必要があるというべきところ、本件全疎明資料に照らしても、債務者が東京支店に一般事務職として入行しその後管理職に昇進した行員についてその昇進に当たって右に述べたような理由で解雇されることがあり得ることを周知徹底したことは全くうかがわれない(また、債権者自身が管理職に昇進した以上は右に述べたような理由で解雇されることがあり得ることを自覚していたことを認めることもできない。)。したがって、東京支店に一般事務職として入行しその後管理職に昇進した行員が管理職への昇進後も停年まで東京支店で勤務し続けることが可能であると考えたとしても、それは無理からぬことである。
<ウ> 以上を総合考慮すれば、債務者の東京支店に一般事務職として入行しその後管理職に昇進した債権者が定年まで東京支店で勤務し続けることを期待することには合理性があると認められる。
(ウ) そこで、人員削減の方法として他に採りうる方法があったかどうかについて検討する。
債務者の東京支店は現に経営危機に陥っているわけではなく、したがって、債務者が本件解雇後も債権者に本件解雇前の給料を支払って債権者を雇用し続けることが困難な経営状況であったとはいえないこと、債権者は平成五年秋ころに輸出入事務(トレード・ファイナンス)のほかに金融派生商品の後方事務を担当するよう内示を受けたことがあり、また、平成五年三月一二日に債権者に対する人事考課表(<証拠略>)を作成した支店長は債権者に対し業務管理部(オペレーション部)の他の部署で経験を積ませることがよいと考えていたのであり(<証拠略>)、これらの時点では債権者は既にアシスタント・マネージャーであり、したがって、債務者としても債権者には輸出入事務(トレード・ファイナンス)以外の業務をアシスタント・マネージャーとして処理する能力がおよそ欠けていると判断していたわけではないといえること、債務者の東京支店では平成一〇年一、二月ころに為替資金決裁部門のアシスタント・マネージャーが退職しており(<証拠略>)、債権者の配転が問題となっていた平成九年三月ないし四月の時点において東京支店のアシスタント・マネージャーの役職者について今後数年間のうちに自然減が期待できる状況にはおよそなかったとはいえないこと、以上を総合考慮すれば、余剰人員となった債権者についても直ちに解雇せずにGTBSアジアパシフィック部門以外の他の部署に既に配属されているアシスタント・マネージャーとは別にいわばこれを補佐するような形でアシスタント・マネージャーとして配属し(したがって、債権者は当該部署に配属されるべきアシスタント・マネージャーとしては過員ということになる。)、今後数年間のうちに東京支店のアシスタント・マネージャーの役職者の自然減を待つことによっていずれ債権者が余剰人員ではなくなることを待ち、数年間が経過した時点でもなお債権者が余剰人員であった場合には債権者を解雇するという方法も採り得たものと考えられる。
これに対し、ロバート・ジョン・ウィンザー及び酒井美子は、その陳述書(<証拠略>)において、それぞれ東京支店の現状では債権者を過員として雇用し続けることはできないという趣旨の供述をしているが、右は、要するに、投資銀行に特化することになった債務者の経営方針からすれば債権者を過員として雇用し続けることはできないというにすぎず、経営の現状に照らし債権者を過員として雇用し続けることができないというわけではないから、右の供述から債務者の東京支店の現状では債権者を過員として雇用し続けることができないとはいえない。
(エ) そうすると、債務者は余剰人員となった債権者について人員削減の方法として解雇という方法以外に右(ウ)で説示したような方法があったにもかかわらず、そのような方法を選択せずに解雇という方法を選択していることに照らせば、本件解雇については解雇によって達成しようとする経営上の目的とこれを達成するための手段ないしその結果との間に均衡が失われているというべきである。
オ(ママ) 以上によれば、本件解雇については経営上の必要性があると認められるものの、経営上の必要性が企業経営上の観点から合理性を有すると認めることはできないといわざるを得ない(ママ)
(五) 小括
以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、本件解雇は権利の濫用として無効であるというべきである(なお、債務者は解雇権濫用の法理について種々これを論難するが、いずれも採用できない。)。
したがって、債権者と債務者間の雇用契約はなお有効に存続しているというべきところ、本件解雇当時の債権者の基本給、食事手当、住宅手当、家族手当及び社会保険手当の合計は金六五万三七八〇円であり、毎年六月と一二月に一時金としてそれぞれ金一九〇万二九八〇円を支給されていた(前記第二の二2)から、債権者は一か月当たり金六五万三七八〇円並びに毎年六月及び一二月に金一九〇万二九八〇円の限度で被保全権利を有することを認めることができる。
二 保全の必要性について
1 賃金仮払いの仮処分は、仮の地位を定める仮処分の一種であるから、「争いがある権利関係について債権者に著しい損害又は急迫の危険を避けるためにこれを必要とする」(民事保全法二三条二項)ことを要件とし、債権者の生活の困窮を避けるために暫定的に発せられるものである。
2 そこで、債権者の生活の困窮の有無について検討するに、本件記録上認められる債権者の生活状況、債権者の年齢などの事実を総合考慮すると、本件においては平成一一年一月以降毎月一八日限り金六〇万円並びに毎年六月三〇日限り及び一二月三〇日限りそれぞれ金五〇万円についてその必要性が認められる(なお、債権者は本件解雇に伴って債務者から退職金として金一八七〇万三二七一円の支払を受けているが、右の退職金が本件解雇が無効であったとしても、債権者からその返還を求めない趣旨で交付された(いわば債権者に贈与した)ものでないことは明らかであるから、債権者が債務者から退職金の支払を受けていることは右の保全の必要性の判断を左右しない。)。
そして、時間の経過によって救済を要する状態は変動を免れないのであるから、仮払いの期間は一年を限度として認めるのが相当である。
3 なお、債権者は、債務者に対し雇傭契約上の権利を有する地位にあることの仮の確認も併せて申し立てているが、他に特段の主張及び疎明のない本件においては、右の地位保全の仮の確認の申立てを認める必要性を認めることはできない。
第四結論
本件申立ては、債務者に対して平成一一年一月から同年一二月まで毎月金六〇万円並びに同年六月及び同年一二月に各金五〇万円の仮払いをさせる限度において理由があると認められ、事案の性質上、債権者の担保を立てさせずに主文のとおり決定する。
(裁判官 鈴木正紀)